お知らせ/吉田良から皆さまへ

R8.3.21 隣家の火災により自宅兼事務所が全焼しました

前日の夜から暴風が吹き荒れていました。

朝に妻を仕事に送り出し、自身はご先祖の墓参りのために9時頃に自宅を出ました。

愛車に乗ったとき、隣の家の煙突から出るススが、いつもより多くフロントガラスについているなと、なんとなく感じました。

高速道路を走っていると車体が煽られるほどの暴風は、午後まで続いていました。

午後2時頃、自宅の近所に住む知り合いの方から「良ちゃんの家のほうが火事のようだよ」と電話が入りました。

その約5分後には、別の方から「家が燃えているようだけど大丈夫ですか」との電話もありました。

これはただ事ではないと感じ、まずは妻の安否確認を行いました。

すぐに電話に応答があり、仕事を終えてまだ帰っていないことが確認できました。

電話の内容と、吉田良自身は到着まで1時間以上かかることを伝えると、帰って確認するとのことでした。

自宅へ向かう間、たくさんの方から絶え間なく電話が入りましたが、運転中のためほとんど出ることができませんでした。

車を停めたタイミングで妻からのLINEを確認すると「家が全焼してる」のメッセージとともに、画像が送られていました。

画像を見て、相当な被害が出ていることが認識できました。

顔を合わせるたびに親しく挨拶を交わすご近所の皆様が無事であるように、それだけを祈りました。

ようやく名取市内へ入り、増田西老人憩の家の駐車場をお借りしようと考えて向かうと、同じ町内会の方と、となりの町内会に所属する議長の姿がありました。

確認すると、7棟に燃え広がったものの、全ての住民の生存が確認されたということでした。

まずは最悪をまぬがれたことに安堵しました。

それから歩いて自宅のあった場所へ向かうと、名取市消防隊が放水を続けている中でも、まだ火がくすぶっている様子が見えました。

自宅に置いていたもの全てが焼けてしまったのだと、ここで初めて実感したのでした。

そして、同じ思いをしているご近所の方が多数おられることから、まだ寒さの残るこの季節に一夜を過ごせる場所の確保をどうするか、現金さえ持ち出せなかった立場でどう食料の調達をどうするか、落ち着いて考えることにしました。

避難所となるのは、増田西老人憩の家しか考えられません。

ちょうど翌日22日は町内会の定期総会の会場としておさえていたこともあり、ここを一時的な避難所とするために、町内会の役員の皆様が中心となって調整してくださいました。

市の社会福祉課や防災安全課の職員も続々と避難所を訪れ、防災倉庫にある毛布や簡易ベッド、パーティションなどを搬入して、避難所として運営できる環境を整えるとともに、災害時の協定に基づいて、市内スーパーから食料品が届けられました。

火災に遭った7世帯のうち、吉田良を含む3世帯が避難所に泊まることとし、ほかの4世帯は親戚を頼るなど避難所は使わないこととなりました。

火災は夕方には鎮圧され、9時頃に鎮火となったようです。

夜中に避難所の暖房が自動で停止してしまい、明け方まで運転できないというトラブルもありましたが、幸い体調を崩す方もおらず、次の日の朝を迎えました。

6時半からの名取駅西口でのラジオ体操に参加し、無事であることを示しました。

都市計画課の職員が避難所を訪れ、公営住宅を希望する世帯への聴き取りが行われました。

空室がある市営住宅は閖上など遠方にしかななく、増田西地区を地盤として活動してきた立場として、生活の拠点を移すことは考えられませんでした。

しかし幸いなことに、支援者の方がすぐ近くの戸建賃貸住宅を紹介してくださいました。

吉田は避難所の運営から離れられなかったため、妻が物件の内覧に出向き、契約することを決定しました。

その頃、火災現場では現場検証が始まりました。

現場検証が終わり、火元が確定しました。

やはり隣家の薪ストーブであるということです。

午後からは、来賓としてご案内を頂いていた諏訪第一町内会の定期総会に出席しました。

スーツは全部焼けてしまったため、着ていた普段着のままで出席し、火災の恐ろしさへの注意喚起を含めた短いご挨拶を申し上げました。

現場検証が終わったため、現場で残留物の捜索が可能となりました。

キラキラパルク増田西(KPM)の代表に相談し、増田川の清掃活動で使用している胴長やゴム手袋などをお借りすることができました。

我が自宅兼事務所からは、増田神社など祭礼で頒布される「木札」を束ねたものが、一部焼けたものの焼失を免れて発見されました。

宇佐神宮御殿屋根檜皮古材御守、清明神社御守、ALICEのキーホルダー、ツシマヤマネコのストラップ、百済展2016記念品などの小物数点がほぼ無傷で見つかりました。

避難所で生活していた吉田以外の2世帯は、夕方までに当面の生活拠点を確保することができたため、吉田も親族を頼ることとし、避難所は閉鎖されました。

失ってしまったものは数知れませんが、それ以上に支えてくださる皆様からの真心を受け、しっかり前を向いて生活再建への歩みを進めています。

火災発生から今日まで、たくさんの方から物心両面にわたるご支援、お見舞いを頂いておりますことに、まずはこの場にて深く感謝を申し上げます。

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